失敗したとき/失敗された時にイライラしない方法
こんにちは、山茶花です。
私のささやかな趣味は、紅茶・珈琲・緑茶といった飲み物を時間をかけて飲むことです。
前の職場では忙しさにかまけて絶対にできていなかった趣味です。
このような時間が取れたのは
ひとえに『大きな決断と自分で行動する』ということをようやくできるようになったからだと思っています。
さて、本日は『失敗』についてです。
人生で失敗したことがない、と言い切れる人は世界をめぐっても絶対にいない、と私は思っています。
しかし、失敗からトラブルが生まれ、人間関係の修復ができなくなる。
という場面はよくあることだと思います。
今日は、そういうものは、まったくのナンセンスである。
という話をしていきたいと思います。
失敗自体はそんなに悪いことではない
失敗というのは誰にでもあることです。
私も今こうやってパソコンで記事を書きながら、何度変換ミスとタイプミスをしているか、数えたくありません。
よく考えてみてください。
動物だって、肉食獣が獲物を捕まえられないこともしょっちゅうですし、植物も季節を間違えて狂い咲くし、昆虫もしょっちゅう窓ガラスに顔面をぶつけます。
まず大前提として
生き物である限り失敗をしないなんてありえないんです。
全く同じ作業を完璧にやることの代名詞である『機械』『ロボット』『AI』でさえ失敗をするというこの事実。
失敗を「失敗しただろう」と糾弾することは、ただその人が苛立ち、ストレスをぶつけているだけです。
失敗した自分が反省して学習すればいいだけ
仕事で見積金額を間違えた。
言葉の表現を間違えて相手に誤解を与えてしまった。
プレゼンテーションでうまくいかなかった。
怒りたくないのについ子供を怒鳴ってしまった。
失敗というのは思い出したくもない、自分の汚点のようなものです。
迷惑をかけた。損をした。恥ずかしい思いをした。
もちろん、成功することが失敗よりも百倍いいに決まっています。
失敗したときは
『何故間違えたのか』を省みて、同じ失敗をしないように学習すればいいだけです。
分からない部分はなかったか。
不明な部分を「いつもどおり」と自分勝手にしなかったか。
確認作業を行ったか。
自分の体調はどうだったか。
昨日は何か特別なことがなかったか。
やるのは自分にとっての『失敗の原因』を見つけて、次はそれに気を付ける。
これだけです。
それが苦手な人は実際にノートや付箋に書いてみるといいでしょう。
いやでも目に入る場所に『失敗の原因』を書いておくと頭に入りやすいです。
しかし、それでも失敗というのをしてしまうのが生き物です。
同じ失敗を繰り返すことは決していい事ではありませんが、生き物ですからあり得る可能性です。
同じ失敗しても、必要以上に落ち込まなくてもいいんです。
「躓かないことは絶対にない」を頭に刻んでおく
では、誰かが失敗し、貴方に被害がでたときはどうでしょう?
私にとっては、これが本題です。
「失敗は誰にでもある」と普段は言いつつ
「なんでそんな失敗したんだ」とか「貴方のせいで被害を受けた」とか「どう責任を取るんだ」とか言っていませんか?
はっきりと言わせていただきます。
人を糾弾する前にまず手を動かせ。口を動かす暇があるなら頭を働かせろ。
これにつきます。
失敗した人に言うであろうその言葉は「失敗した本人が一番よく分かっている」ことです。
つまりただの二度手間のうえ、人間関係を壊すだけの限りなく無駄な作業です。
「反省しろ」と言われなくても、反省していますよ。
その説教は貴方の自己満足です。
あやまちを糾弾する権利なんてものは失敗した本人にしかありません。
では何をすればいいのか。
「被害を最小限に抑えるように対応する」これに尽きます。
未来のことを考えながら手を動かし、どうすればいいのか頭を使って対策を練る。
これは貴方が生き物だからこそできることです。
理解できていない人には「間違っていないですか?」と教えてあげてください。
そこで失敗しただろうと言っても、当人は事態が自分に降りかからないと分からないのです。
はっきり言って、感情的に叱っても無意味です。むしろ意固地になって状況が悪くなります。
「どこが間違っているのか」という事実を教えてあげてください。
失敗という『正義の免罪符』を振りかざす人間がいる
不思議な話で、誰かが失敗して「どうしてできないんだ」と糾弾する人は少なくありません。
「失敗は誰にでもある」という持論を持っている人に限って、他人の失敗につっかかり、人間関係を壊しがち、というのは私の経験則です。
いわゆる、自分に甘く他人に厳しい人はこういう『他人の失敗』を免罪符にして怒鳴りつけてくるのです。
こんなものは、ただの暴力です。
「こいつは大事なことを失敗した」という否定できないものを
「私は会社のために、この子の将来のために、言っているんだ」
という一方的な『正義感という免罪符』で自分を正当化しているだけです。
実際、私も失敗からまったく関係のない人間に怒鳴られ、嫌みを言われ続けた結果
心を壊しました。
今考えてみれば、2~3年間、暴力を振るわれたようなものですから、心壊すのも納得です。
考えるべきなのは失敗から貴方がどうするのか
何度も声を大にして言いますが、失敗は誰にでもあることです。
「失敗するな」と言葉自体がただの悪口だと思っています。
重要なのは『失敗』というものに対してどうするのか。それだけです。
失敗したときの対策を考える。
失敗の確率を減らすように予防する。
やることは沢山あると思います。人によってどうしたらいいのかは様々だと思います。
必ずどこかで起こることに対して何もせず、起こったときに誰かに責任を求め自分は感情的になって叫ぶだけでは何も解決しません。
貴方だけの、失敗と上手く付き合う方法を探してみてください。
それが、貴方の心の平穏。ひいては周りの人と円滑な人間関係を築くための一つになるかと思います。
おわりに
いかがでしたでしょうか。
失敗というのは思い出したくない負の歴史であると同時に、貴重な財産です。
あのときに失敗したから、今度は大丈夫。と自信をつけるための鍵になったり
失敗が転じて驚くような成功になることだってあります。
「失敗を失敗だと糾弾するのは、無駄中の無駄」
私は多くの失敗を経験し、学び、このような考えを持つようになりました。
誰かが失敗したときは「今見つかって良かった、対応できるね」と心から言えること。
これが私の失敗への処世術です。今でも役に立っています。
では、本日はこのあたりで。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
がっつり版:https://sazankadiary.com/2020/03/15/humanrelations02a/