いじめている子供の心理を知る(小学生編)
こんにちは、山茶花です。
今回は『いじめ』についてです。
多くのメディアや他のブログ記事にもよく取り上げられる事柄でもあるのですが、
いじめられた経験をした今だからこそ分かる、当時いじめていた人間の心理について、考えていきたいと思います。
今、いじめられている人、身内がいじめられている人へ向けた
『いじめる側の心理』を分析していきたいと思います。
なお、今回は小学生編です。中学生、高校生から大人はまた別のカテゴリとなりますので、これはまた別の機会で書いていきたいと思います。
小学生の心理は意外と単純明快
経験に勝るものはなし。
私がいじめられていた頃の話を分析していきたいと思います。
私が小学2年生から卒業の6年生まで、同じ人物・グループにいじめられていました。わかりやすいようにその子供を「Nさん」と仮に名付けます。
ここでまず、その頃の私の性格と、Nさんの性格の傾向をまとめてみましょう。
いじめている子供は長所と短所を見ている
私(山茶花) | いじめていた子供(Nさん) | |
誕生日 | 12月 | 4月 |
会話風景 | 男女問わず誰とでも話す | 自分の気に入った女の子とだけ話す |
友人 | 少ない | 多い |
得意なもの | 五教科、図工 | 体育 |
苦手なもの | 体育 | 算数、理科 |
身長 | 160㎝弱 | 約140㎝ |
先生への評価 | 真面目で先生受けが良い | 取り巻きは多いが先生には受けが悪い |
発言力 | 喋らない | よく喋る |
男子への対応 | 男女関係なく同じ | 仲のいい女子とはよく話す |
ものすごく簡単にまとめましたが、長所や得意なもの、
ポジティブな印象もの:赤文字、苦手なもの、ネガティブな印象のもの:青文字としました。
いじめている子供には、この相手の長所と短所を自然と見ています。
Nさんの場合は、私よりも早く生まれ、私よりも体育の成績が良く、私よりも友達が多くてよくしゃべる。表にある赤い部分が私よりも上だから私のほうが上の立場である。
という謎の方程式が成り立っていたようです。
どうでもいい情報も、立場が上だという理由になる
小学生というのはとても単純です。
誕生日が早い、足が速い、友達の数。
そんな大人が考えればくだらない理由で、小学生は自分の長所だけを見て「私はあんたよりこんなものが出来るから上なんだから」と理由をつけるのです。
表のとおりにいけば、Nさんは「山茶花より足が速くて、早く生まれて、友達が多いから私のほうが強い」というとても子供じみた理論を構築していたようです。
自分の長所で上を取ろうとするのは短所へのコンプレックス
しかし、反対にNさんが私に勝てない部分はあります。
人間なんだから当たり前ですよね。
私から見れば「Nさんは勉強が苦手で、背が低くて、決まった仲間としか話さないし、先生から褒められていない」と見えるわけですが、当時の私のとっては『ものすごくどうでもいいこと』でした。
自分と友人を比べていったい何になるというんでしょう。
こんな時に『比べてしまう』のがいじめる子供の心理の一つなのだと私は思っています。
自分で言うのも何ですが、小学生の私は勉強することが大好きで、予習しては手を挙げて、難しい問題を男子と競いながら授業を受けていました。
ようは先生によく褒められ、勉強面で目立つ存在でした。
そんな姿を見て、Nさんはこう思ったのでしょう。
「私より足が遅いくせに、私より陰気なくせに、私より友達が少ないくせに」
いじめる子供ほど、自分のコンプレックスを気にして、他人を下に見ようと必死になるのです。
いじめる子供の考えはくだらない理由でくだらないことをする
結局、このNさんと仲間たちは、陰で何か言うことはあっても、私に直接言えるような勇気もなく、しかし、分かる様な声で悪口を、先生のいないところで言うようなくだらない存在でした。
そう、いじめる人間とは存外くだらないものです。
特に変な知識をもっていない小学生では「きらい」や「なんかやだ」そんなどうでもいい言葉でいじめていきます。
しかし、数十年経った今でも覚えているのは、 こんなくだらない事でもやられた方はずっと覚えているのです。
よく「いじめたなんて覚えていない」という言葉がありますが、そりゃあそうでしょう。
その人がいじめたのは『自分の自己を肯定するため』というくだらない動機だったのですから。
いじめがなくならない大きな理由
いじめてくる側の理由は、たいてい『自己肯定』を満たすために誰かを下に見ることです。
要するに自己満足のやり玉に挙げられているだけで、自分より下の要素を持っていれば誰でもいいのです。
いじめがなくならない理由の一つが、この「誰でもいい」ということです。
いじめていた子供が一転していじめられる側になってしまうのも『前にいじめていた』という圧倒的な短所ができて、他人が自己肯定するための標的になってしまうからです。
この連鎖を断ち切る方法は、子供だけの社会ではどうにもなりません。
だからこそ、大人という第三者の介入いうのはとても重要なことなのです。
大人がやるべきこと、大人がやるべきではないこと
大人とは、小学生からしてみれば『絶対の存在』です。
例え「教師なんて逆らえない」という子供がいたとしても、それが教頭先生、校長先生となると声も大人しくなります。それだけの度胸なんて、子供にはありません。
だからこそ、大人の対応でいじめられた子供もいじめた子供も、この先の人間性を大きく左右します。
しかし、これは親と教師とですべきことは変わってきます。
教師がするべきこと
①いじめというものを否定する
まず、教師がするべきこと。これはものすごく単純明快です。
教師がするべきなのはまず『いじめが悪い事である』ということをきちんと子供たちに周知させることです。
このときに『〇〇さんが〇〇さんをいじめました』と名指しすることはいけません。
何故なら、先ほど言った「〇〇さんはいじめをした」という次のいじめられる標的を作ってしまうからです。
教師のするべきことは『いじめが悪いことである』ということを教育することです。
それ以上のことに手を出すと「先生の贔屓」という新たな上下関係が生まれるだけです。
教師のやることはあくまで『公平に厳格に』やってはいけないことを言うことです。
②当事者たちの親へ伝える
これもとても重要です。
子供同士で握手させて「ごめんなさい」はその場しのぎであり「先生に見られなければいい」と知恵を身に着けるだけです。
必ず当事者の親、とくにいじめた側の親に詳細を事細かに説明しましょう。
中には「それは教師の仕事だろう」と言ってくる親御さんもいらっしゃるでしょう。
しかし、子供が最後に言うことを聞くのは『教師』ではなく『親』です。
そういうときは絶対に「一教師だけで解決しよう」と思わずに必ず同僚か上司に相談しましょう。難しいと思いますが、教育現場としてはいじめがあったという事実は大問題です。
いじめというのは学校全体の問題です。
どうしてもという時は、いじめられた側の親御さんにも協力してもらいましょう。
親がするべきこと
①子供に詳細を聞く
いじめた側も、いじめられた側も、詳細を聞くことは親の仕事だと私は思います。
その子をここまで育ててきたのは教師ではなく、親なのですから。
特にいじめられた子供は「いじめられた」ということはとても勇気がいるのです。
迷惑をかけたくない。元気に学校に行ってると思っているのに。
大人が思っている以上に、子供は子供なりに心配をかけまいと頑張ってしまいます。
そんな子供には「我慢しなくていいんだよ」「怒らないよ」と子供を肯定してあげてください。
いじめられた子供は、自己肯定とは逆に「自分が悪いんだ」と『自己否定』が強くなっています。
だからこそ、肯定をしてあげてください。
ここで「やり返さなかったのか」なんていう『否定』を重ねてしてしまうと、子供は殻に閉じこもってしまいます。
②いじめた子供を冷静に否定するのは親の仕事
反対にいじめていたことを知る親は、まずは感情的にならないようにしましょう。
事前に先生やいじめられた側の親御さんから話を聞いておいて、まずは自分の子供がやったことを冷静に受け止めましょう。
そして、子供へ『事実』を聞いていきましょう。
最初は否定するかもしれませんが「先生からこう聞いた」「〇〇さんの親御さんから聞いた」と詳細を言ってもいいです。
この時に「どうしてこんなことをしたんだ」とか「お前はこうだったんだな?」と言葉を挟んではいけません。
これから子供のやったことを否定しなければいけないのですから。
これは親の仕事です。教師の仕事ではありません。
この行為の目的は主に二つです。
いじめた子供が『いじめた』という自覚をもたせること
子供がやったことは絶対にやってはいけないことだと教えること
③否定した後は何故こんなことをしたのかを聞く
ここからが大事なのですが
いじめた子供に『何故こんなことをしたのか』を親が聞き、これから何をするべきなのかを一緒に考える。
何度も記述していますが、子供(小学生)がいじめる理由は『自己肯定』です。
これは裏を返せば、自分の短所に強いコンプレックスを持っているということです。
教師では聞けない理由を、親が聞いてあげることで、それが立派な自己肯定に繋がります。
子供には謝らせたほうがいいのか
仲直りの証として「ごめんなさい」をしなさいというものがありますよね?
いじめられた歴のある私は、これが大嫌いです。
何故ならこれは、いじめた側や第三者が『これで解決しましたよ』という自己満足だからです。
いじめられた子供が一番欲しいのは
いじめた子供の謝罪ではなく安心して学校に通えることです。
好きな人も嫌いな人もいる。嫌いな人とは関わらない。
学校もそれでいいと思っています。
いじめ、いじめられた子供が仲良くなるときは子供次第であり、親が介入するものではありません。
謝罪は親同士で済ませてほしいものです。
最後に
いかがでしたでしょうか。
昨今、いじめの問題は定期的に取り上げられていますが、どれもいじめられた側の経験ばかりを語っていますが、傷の舐め合いだけでは解決しない、ということをいじめられたことのある人間はよく分かっています。
「いじめを100%無くす」と簡単に言いますが、社会からブラック企業をなくすレベルの大きな課題であり、社会全体が動かなければなりません。
長くいじめに晒された一人として、発信していきたいと思います。
それでは、最後までお読みいただきありがとうございました。