sazanka_diary(人生で三度挫折しました)

人生で三度挫折した人間が日々思うこと。

公務員にリストラはないが真綿で締められる

こんにちは、山茶花です。

公務員の回、本日は公務員一人一人の質について。

私が公務員に就職してた頃、親類によく言われたセリフがあります。

「公務員はいいよね。リストラがないから」

「公務員は安定してるよね、首切られなくていいし」

揶揄と言っていいと思います。

私が就職した頃はいわゆる就職氷河期でしたので、就職していてもリストラでいつ辞めさせられるか分からない、だから公務員はリスクが無くて羨ましい。

まぁ、私としては「試験のために死ぬ気で勉強して受かったんだから、文句言う奴は受けてみろよ」という気持ちでした。

公務員はリストラできない。これはまごうことなき事実です。

しかし、それによる弊害が現在でも燻ているのは事実であり、このせいで折角の人材が辞めていき、職員の質が落ちていく。これが今の公務員の現状です。

というお話をしていきたいと思います。

 

まずは民間企業と公務員の『解雇』の違いについて簡単に説明します。

ここでは民間企業と地方公務員とで比べてみましょう。

民間企業の場合

民間企業が社員を解雇する理由として挙げられるのは、主に3つです。

①整理解雇(リストラ。業績不振など理由で経費削減のために行う)

②懲戒解雇(会社の秩序を乱したものへの制裁として行う)

③普通解雇(上記以外。遅刻欠勤などの勤務態度、成績の不良、職業上の適性や能力の欠如、その他違反行為があったときに行う)

懲戒解雇や普通解雇の基準は『労働基準法』によって定められています。

地方公務員の場合

公務員には主に『免職』という言葉が使われます。

①懲戒免職(会社の秩序を乱したものへの制裁として行う、成人しているときは名前の公表を行う)

②分限免職(公務員に対する「身分保障の限界」職務放棄や公務員としての適性を欠く場合に該当する)

地方公務員の免職の基準は『地方公務員法』に則っています。

 

地方自治体、国が倒産しなければ『整理解雇』に該当することは起こりません。

全くないわけではありませんが、公務員のリストラは、ほぼ形骸化と考えてもよいでしょう。

財政破綻した自治体として『夕張市』がありますが、あそこも整理解雇は行っていません。

しかし、これが『公務員が辞めさせられない理由』の一因になっています。

『リストラがない』を言い換えると『自治体の都合で職員は辞めさせられない』ということになります。

 

前回もご紹介しましたが、公務員に必要なものは『全体の奉仕者』です

そこに利益というものは存在しません。

利益を追求するということは、税収を集めるということです。

昨今では『ふるさと納税』など自治体の努力で可視化した利益追求を見ることができますが

それ以外の仕事は、『住民票の発行』『納税証明書』『保険料の徴収』『道路の整備』など

民間で困っていることを解決したり必要な情報を提供することが仕事です。

仕事が効率的にできたとしても、非効率だったとしても、結果は同じです。

どうやって成績をつけるのでしょう。

記録として残るのは

『ちゃんと勤務しているか』

『特定の職員にクレームが来ていないか』

『トラブルを起こしていないか』

マイナス要素からの引き算方式で、免職にあたるのかを人事が確認するのです。どれほど頑張ったとしても、プラスの要素が成績に反映されることは殆どありません。

遅刻なく毎日勤務し、必要最低限の対応をして定時で帰る。

これが、公務員に求められている人材です。

私も新人の頃は窓口対応で、少しでも分かりやすく、困っている人の相談を受けたことがありました。しかし、そんな職員は組織としては必要ない人材としてカウントされます。

何故か。それは最終的にコストのかかる職員になるからです。

窓口や電話での対応を懸命に丁寧にやったあと、残るのはやらなければならない仕事です。

その仕事のために残業すれば、それは時間外手当として申請しなければいけません。

「申請できるからいいじゃん」と思った方もいるかと思います。

人事ではこれは『残業代のかかる職員』として記録上はカウントされます。

どんなに周りから「できる人」と言われても、書類上では『できない人』になります。

自治体としての『利益追求』とは、コストを極力かけない。

コストのかかる職員は仕事の少ない職場へ異動させる。

だからこそ、私は『真面目な人』は公務員になるものではないと思っています。

私もこれに該当するのですが、公務員は法律を扱っている組織である上に、模範となるべき組織なので、法律にはとてもシビアです。

なので、犯罪行為など、よほどの事がなければ免職にはなりません。

職員との間にトラブルがあった場合でも、免職ではなく減俸または別の職場へ異動させることが殆どです。

反対にそんな状況に耐えられず、退職していく人も後を絶ちません。

コストの悪さというふるいにかけて残った職員の中に、一体どれだけ真摯に対応してくれる職員がいるでしょうか。私としては不安でなりません。

 

散々『公務員はよくない』といった記事を書いてきましたが

私は対応のいい職員はかなり多いと思っています。

純粋利益を得られないからこそ、公務員は『やりがい』というお金にならないものを糧にして仕事をしています。

誰に認められることもなく、粛々と仕事をこなして、成績なんてでません。

それでも、たまに来られた方から貰う「ありがとうございました」で励まされ、また頑張ろう、と思えるのです。

もし、役場などに行く用事のある方は、一言「ありがとう」と窓口で対応した職員へ言ってあげてください。

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

がっつり版:https://sazankadiary.com/2020/03/20/publicservant03/

いじめている子供の心理を知る(小学生編)

こんにちは、山茶花です。

今回は『いじめ』についてです。

多くのメディアや他のブログ記事にもよく取り上げられる事柄でもあるのですが、

いじめられた経験をした今だからこそ分かる、当時いじめていた人間の心理について、考えていきたいと思います。

今、いじめられている人、身内がいじめられている人へ向けた

『いじめる側の心理』を分析していきたいと思います。

なお、今回は小学生編です。中学生、高校生から大人はまた別のカテゴリとなりますので、これはまた別の機会で書いていきたいと思います。

小学生の心理は意外と単純明快

経験に勝るものはなし。

私がいじめられていた頃の話を分析していきたいと思います。

私が小学2年生から卒業の6年生まで、同じ人物・グループにいじめられていました。わかりやすいようにその子供を「Nさん」と仮に名付けます。

ここでまず、その頃の私の性格と、Nさんの性格の傾向をまとめてみましょう。

いじめている子供は長所と短所を見ている

  私(山茶花) いじめていた子供(Nさん)
誕生日 12月 4月
会話風景 男女問わず誰とでも話す 自分の気に入った女の子とだけ話す
友人 少ない 多い
得意なもの 五教科、図工 体育
苦手なもの 体育 算数、理科
身長 160㎝弱 約140㎝
先生への評価 真面目で先生受けが良い 取り巻きは多いが先生には受けが悪い
発言力 喋らない よく喋る
男子への対応 男女関係なく同じ 仲のいい女子とはよく話す

 

ものすごく簡単にまとめましたが、長所や得意なもの、

ポジティブな印象もの:赤文字、苦手なもの、ネガティブな印象のもの:青文字としました。

いじめている子供には、この相手の長所短所を自然と見ています。

Nさんの場合は、私よりも早く生まれ、私よりも体育の成績が良く、私よりも友達が多くてよくしゃべる。表にある赤い部分が私よりも上だから私のほうが上の立場である。

という謎の方程式が成り立っていたようです。

どうでもいい情報も、立場が上だという理由になる

小学生というのはとても単純です。

誕生日が早い、足が速い、友達の数。

そんな大人が考えればくだらない理由で、小学生は自分の長所だけを見て「私はあんたよりこんなものが出来るから上なんだから」と理由をつけるのです。

表のとおりにいけば、Nさんは「山茶花より足が速くて、早く生まれて、友達が多いから私のほうが強い」というとても子供じみた理論を構築していたようです。

自分の長所で上を取ろうとするのは短所へのコンプレックス

しかし、反対にNさんが私に勝てない部分はあります。

人間なんだから当たり前ですよね。

私から見れば「Nさんは勉強が苦手で、背が低くて、決まった仲間としか話さないし、先生から褒められていない」と見えるわけですが、当時の私のとっては『ものすごくどうでもいいこと』でした。

自分と友人を比べていったい何になるというんでしょう。

こんな時に『比べてしまう』のがいじめる子供の心理の一つなのだと私は思っています。

自分で言うのも何ですが、小学生の私は勉強することが大好きで、予習しては手を挙げて、難しい問題を男子と競いながら授業を受けていました。

ようは先生によく褒められ、勉強面で目立つ存在でした。

そんな姿を見て、Nさんはこう思ったのでしょう。

「私より足が遅いくせに、私より陰気なくせに、私より友達が少ないくせに」

いじめる子供ほど、自分のコンプレックスを気にして、他人を下に見ようと必死になるのです。

いじめる子供の考えはくだらない理由でくだらないことをする

結局、このNさんと仲間たちは、陰で何か言うことはあっても、私に直接言えるような勇気もなく、しかし、分かる様な声で悪口を、先生のいないところで言うようなくだらない存在でした。

そう、いじめる人間とは存外くだらないものです。

特に変な知識をもっていない小学生では「きらい」「なんかやだ」そんなどうでもいい言葉でいじめていきます。

しかし、数十年経った今でも覚えているのは、 こんなくだらない事でもやられた方はずっと覚えているのです。

よく「いじめたなんて覚えていない」という言葉がありますが、そりゃあそうでしょう。

その人がいじめたのは『自分の自己を肯定するため』というくだらない動機だったのですから。

いじめがなくならない大きな理由

いじめてくる側の理由は、たいてい『自己肯定』を満たすために誰かを下に見ることです。

要するに自己満足のやり玉に挙げられているだけで、自分より下の要素を持っていれば誰でもいいのです。

いじめがなくならない理由の一つが、この「誰でもいい」ということです。

いじめていた子供が一転していじめられる側になってしまうのも『前にいじめていた』という圧倒的な短所ができて、他人が自己肯定するための標的になってしまうからです。

この連鎖を断ち切る方法は、子供だけの社会ではどうにもなりません。

だからこそ、大人という第三者の介入いうのはとても重要なことなのです。

大人がやるべきこと、大人がやるべきではないこと

大人とは、小学生からしてみれば『絶対の存在』です。

例え「教師なんて逆らえない」という子供がいたとしても、それが教頭先生、校長先生となると声も大人しくなります。それだけの度胸なんて、子供にはありません。

だからこそ、大人の対応でいじめられた子供もいじめた子供も、この先の人間性を大きく左右します。

しかし、これは親と教師とですべきことは変わってきます。

教師がするべきこと

①いじめというものを否定する

まず、教師がするべきこと。これはものすごく単純明快です。

教師がするべきなのはまず『いじめが悪い事である』ということをきちんと子供たちに周知させることです。

このときに『〇〇さんが〇〇さんをいじめました』と名指しすることはいけません。

何故なら、先ほど言った「〇〇さんはいじめをした」という次のいじめられる標的を作ってしまうからです。

教師のするべきことは『いじめが悪いことである』ということを教育することです。

それ以上のことに手を出すと「先生の贔屓」という新たな上下関係が生まれるだけです。

教師のやることはあくまで『公平に厳格に』やってはいけないことを言うことです。

②当事者たちの親へ伝える

これもとても重要です。

子供同士で握手させて「ごめんなさい」はその場しのぎであり「先生に見られなければいい」と知恵を身に着けるだけです。

必ず当事者の親、とくにいじめた側の親に詳細を事細かに説明しましょう。

中には「それは教師の仕事だろう」と言ってくる親御さんもいらっしゃるでしょう。

しかし、子供が最後に言うことを聞くのは『教師』ではなく『親』です。

そういうときは絶対に「一教師だけで解決しよう」と思わずに必ず同僚か上司に相談しましょう。難しいと思いますが、教育現場としてはいじめがあったという事実は大問題です。

いじめというのは学校全体の問題です。

どうしてもという時は、いじめられた側の親御さんにも協力してもらいましょう。

親がするべきこと

①子供に詳細を聞く

いじめた側も、いじめられた側も、詳細を聞くことは親の仕事だと私は思います。

その子をここまで育ててきたのは教師ではなく、親なのですから。

特にいじめられた子供は「いじめられた」ということはとても勇気がいるのです。

迷惑をかけたくない。元気に学校に行ってると思っているのに。

大人が思っている以上に、子供は子供なりに心配をかけまいと頑張ってしまいます。

そんな子供には「我慢しなくていいんだよ」「怒らないよ」と子供を肯定してあげてください。

いじめられた子供は、自己肯定とは逆に「自分が悪いんだ」と『自己否定』が強くなっています。

だからこそ、肯定をしてあげてください。

ここで「やり返さなかったのか」なんていう『否定』を重ねてしてしまうと、子供は殻に閉じこもってしまいます。

②いじめた子供を冷静に否定するのは親の仕事

反対にいじめていたことを知る親は、まずは感情的にならないようにしましょう。

事前に先生やいじめられた側の親御さんから話を聞いておいて、まずは自分の子供がやったことを冷静に受け止めましょう。

そして、子供へ『事実』を聞いていきましょう。

最初は否定するかもしれませんが「先生からこう聞いた」「〇〇さんの親御さんから聞いた」と詳細を言ってもいいです。

この時に「どうしてこんなことをしたんだ」とか「お前はこうだったんだな?」と言葉を挟んではいけません。

これから子供のやったことを否定しなければいけないのですから。

これは親の仕事です。教師の仕事ではありません。

この行為の目的は主に二つです。

いじめた子供が『いじめた』という自覚をもたせること

子供がやったことは絶対にやってはいけないことだと教えること

③否定した後は何故こんなことをしたのかを聞く

ここからが大事なのですが

いじめた子供に『何故こんなことをしたのか』を親が聞き、これから何をするべきなのかを一緒に考える。

何度も記述していますが、子供(小学生)がいじめる理由は『自己肯定』です。

これは裏を返せば、自分の短所に強いコンプレックスを持っているということです。

教師では聞けない理由を、親が聞いてあげることで、それが立派な自己肯定に繋がります。

子供には謝らせたほうがいいのか

仲直りの証として「ごめんなさい」をしなさいというものがありますよね?

いじめられた歴のある私は、これが大嫌いです。

何故ならこれは、いじめた側や第三者が『これで解決しましたよ』という自己満足だからです。

 

いじめられた子供が一番欲しいのは

いじめた子供の謝罪ではなく安心して学校に通えることです。

好きな人も嫌いな人もいる。嫌いな人とは関わらない。

学校もそれでいいと思っています。

いじめ、いじめられた子供が仲良くなるときは子供次第であり、親が介入するものではありません。

謝罪は親同士で済ませてほしいものです。

最後に

いかがでしたでしょうか。

昨今、いじめの問題は定期的に取り上げられていますが、どれもいじめられた側の経験ばかりを語っていますが、傷の舐め合いだけでは解決しない、ということをいじめられたことのある人間はよく分かっています。

「いじめを100%無くす」と簡単に言いますが、社会からブラック企業をなくすレベルの大きな課題であり、社会全体が動かなければなりません。

長くいじめに晒された一人として、発信していきたいと思います。

それでは、最後までお読みいただきありがとうございました。

 

がっつり版:https://sazankadiary.com/2020/03/19/humanrelations03/

公務員に向かないのはマジメな人(2)

 

sazanka-diary.hatenablog.com

 

※こちらは『公務員に向かないのはマジメな人(1)』の続きです。

未読の方は先にこちらを先に読むことをおすすめします。

さて、前回は公務員の成り立ちや公務員の基本理念、そして新卒採用されたばかりの方が陥りやすい出来事をまとめました。

今回は表題に少し掘り下げた内容を書いていこうと思います。

『地方公務員法』などは参考にしていますが、ほとんどは私の経験談で、私自身が10年勤めていたときに実際に起こったことや思っていたことを綴ります。

慣れてきた頃の日常風景

地方公務員が「慣れた」と感じる瞬間には2種類あり、1年周期と3年周期があります。

マジメであればあるほど、この2つの『慣れ』についていけないことが多いです。

まずは、この2つの『慣れ』について説明します。

1年周期の慣れ

公務員の仕事は、基本的に1年間のスケジュール通りに行うものが多いです。

中には2年に1回する仕事や、5年に1回する仕事もありますが

基本的な仕事は1年で1周期、1月で1周期、1日で1周期と決まっています。

 

とにかくやることすべてに対して報告とGOサイン

公務員の仕事は主に、このようにしていいですか(GOサイン)このようにしました(報告)この2つの繰り返しです。

1日でも1週間でも1月でも1年でも同じです。

よく【社会人は報・連・相が大事】とは言いますが、公務員の仕事では特に重要視されます。

何故なら、使っているお金が税金だからです。

「〇〇するために国民/市民の皆さんの税金を使います」

という意思表示であるのと同時に何かあったときに「私たちはこのように税金を使いました。不正はありません」という予防線を貼っているとも言えます。

時には(こんなものにまで報告がいるの?)というものまで報告GOサインをもらい、初めて仕事が進みます。

時には業務メールの内容や、送られてくる会報誌や、いわゆるメールマガジンのようなものが届いても報告が必要です。

仕事は一人で掛け持ちが当たり前

私の話になるのですが、新規採用された時、全く違う種類の仕事を4つ掛け持ちしていました。

1日で終わる手続きから2~3年で1周する仕事まで多岐にわたります。

全く違う法律を参考にしながら、まったく違う知識を覚え、全く違う書類を作るのが当たり前です。

そして、この仕事の内容をちゃんと知っているのは、私と上司(係長クラス)だけでした。

仕事の引継ぎは異動した前任者からの口頭のみ。同僚は自分の仕事で精一杯。

では仕事内容を知っている上司は助けにるのかと言えば、正直あまり助けになりません。その理由は後述します。

「私がいないと全体の業務が回らなくなるから、仕事は休めない」

福利厚生として有給休暇制度はありますが、実際に使っている職場かどうかは、一人に詰め込められる仕事量によって大きく変わるのが現状です。

これは民間企業も同じなのではないでしょうか。

3年周期の慣れ

この『3年周期』という謎のルールのほうが問題では? と私は考えています。

3日前に発表される人事異動

多くの地方公務員は、2~3年、だいたい3年で人事異動が行われます。

これは地方公務員法に則られたものではなく、暗黙のルールのようなものです。

2年間、3年間くらい在籍していた先生が、別の学校に行ってしまう。

小中学校に通っていた時に経験したことはありませんでしたか?

学校の先生の人事異動は、まさにこの例の典型です。

何故、約3年で人事異動が行われるのかには諸説あるのですが

 

・職員(特に若手)に多くの知識をつけさせたいから

・長く同じ職場に留まっていると、縦割り行政の構図や不正が発生しやすい

・新しい事業をするときなど、大きなプロジェクトの整備の終わりがだいたい3年

 

おおよそこの3つが大きな理由かと思います。

一見聞こえのいい理由で、問題ないように思えるのですが、仕事をやっている気になって考えてみてください。

 

1年目:右も左も分からない。とにかく所属した仕事のやり方を覚える

2年目:仕事のやり方を反芻しながら、この仕事を何のためにやっているのかを再確認

3年目:あまりない不測の事態にも対応できるようになり、仕事にも慣れて余裕が出てくる

 

そんな矢先に人事異動がやってきます。

公務員の仕事は多岐にわたります。

実際、私は介護職の方とつながる仕事を最初していたのですが、3年経って異動した先は環境関係の職場でした。

・今までに勉強してきた知識

・役所以外での人脈信頼

・職場で築き上げた人間関係

これらが、リセットされるのです。また一から再スタートです。

ここで問題なのは『これからもっと円滑にできるように改善しよう』と考えている矢先という、職員のことを全く考えていないタイミングの悪さです。

人事異動が発表されるのは、3月の議会が終了してからです。

たった数日で自分が異動する予定なのか、どんな仕事があるのか、引継ぎはどうするのか。すべてを考えなければいけません。

そして、先ほどの年間スケジュールを再び見てくださると分かりやすいのですが

公務員が一番忙しいのは、契約や入札などが一気に重なる4月です。

ばたばたしながら後輩に仕事を教えて、異動先で忙しい前任者に仕事を教わる。

そして、その仕事内容を知っているのは、前任者と上司だけです。

上司も長くて3年スパンで交代するので、上司も知らないというケースもしばしばです。

少なくとも、私の場合は当てになりませんでした。

地方公務員は人間の向上心を折っていく

私が「マジメな人は公務員に向かない」と言った大きな理由はこれです。

「奉仕者」「国民/市民のために全力で努めなければならない」

根がマジメな人は、まずはこれを重要視するのではないでしょうか。

慣れない知識を勉強し、法律も学び、クレーム対応もこなし、1年、2年と報告とGOサインの繰り返し。

ようやく余裕が出てきて、よりよくしようと思ったら、今までの知識が殆ど通用しない職場へ、数日前に「行け」と命じられる。

貴方を助けてくれる人は、いるとすれば新しい仕事をやっていた前任者でしょうが

その方にも別の仕事があてがわれて忙しい。教わる余裕がない。

こんな状態で、すべての仕事を全力をこなせますか?

私事ですが、異動先で体調を崩した方を、田舎の役所でありながらたくさん見てきました。

中には、異動先の前任者が心の体調を崩していて、前年の資料を見ながら仕事をこなしている方もいました。

最初の歓送迎会で同期が30人以上いたはずなのに、6年目には20人ほどになっていました。

だいたいの理由が、環境の大きな変化に耐えられなくなって辞めていきました。

まず『市民の方々のためになるから』という向上心のある理由で公務員になる方は、そんな現実があることをよく考えましょう。

暗黙の公務員制度は、貴方の向上心をバキバキに砕いていきます。

まだまだある公務員の因習

『公務員に向かないのはマジメな人 』という理由に関してはここまでです。

しかし、地方公務員時代に体験した暗黙のルールはまだまだあります。

こういった『公務員の因習』に潰された職員は少なくないと思います。

これからも、こう言った情報をつらつらと、好きなように書かせていただきますので

興味のある方は読んでいただけると幸いです。

それでは、最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

 

がっつり版:https://sazankadiary.com/2020/03/15/publicservant02/

失敗したとき/失敗された時にイライラしない方法

こんにちは、山茶花です。

私のささやかな趣味は、紅茶・珈琲・緑茶といった飲み物を時間をかけて飲むことです。

前の職場では忙しさにかまけて絶対にできていなかった趣味です。

このような時間が取れたのは

ひとえに『大きな決断と自分で行動する』ということをようやくできるようになったからだと思っています。

さて、本日は『失敗』についてです。

人生で失敗したことがない、と言い切れる人は世界をめぐっても絶対にいない、と私は思っています。

しかし、失敗からトラブルが生まれ、人間関係の修復ができなくなる。

という場面はよくあることだと思います。

今日は、そういうものは、まったくのナンセンスである。

という話をしていきたいと思います。

 

失敗自体はそんなに悪いことではない

失敗というのは誰にでもあることです。

私も今こうやってパソコンで記事を書きながら、何度変換ミスとタイプミスをしているか、数えたくありません。

よく考えてみてください。

動物だって、肉食獣が獲物を捕まえられないこともしょっちゅうですし、植物も季節を間違えて狂い咲くし、昆虫もしょっちゅう窓ガラスに顔面をぶつけます。

まず大前提として

生き物である限り失敗をしないなんてありえないんです。

全く同じ作業を完璧にやることの代名詞である『機械』『ロボット』『AI』でさえ失敗をするというこの事実。

失敗を「失敗しただろう」と糾弾することは、ただその人が苛立ち、ストレスをぶつけているだけです。

失敗した自分が反省して学習すればいいだけ

仕事で見積金額を間違えた。

言葉の表現を間違えて相手に誤解を与えてしまった。

プレゼンテーションでうまくいかなかった。

怒りたくないのについ子供を怒鳴ってしまった。

失敗というのは思い出したくもない、自分の汚点のようなものです。

迷惑をかけた。損をした。恥ずかしい思いをした。

もちろん、成功することが失敗よりも百倍いいに決まっています。

失敗したときは

『何故間違えたのか』を省みて、同じ失敗をしないように学習すればいいだけです。

分からない部分はなかったか。

不明な部分を「いつもどおり」と自分勝手にしなかったか。

確認作業を行ったか。

自分の体調はどうだったか。

昨日は何か特別なことがなかったか。

やるのは自分にとっての『失敗の原因』を見つけて、次はそれに気を付ける。

これだけです。

それが苦手な人は実際にノートや付箋に書いてみるといいでしょう。

いやでも目に入る場所に『失敗の原因』を書いておくと頭に入りやすいです。

しかし、それでも失敗というのをしてしまうのが生き物です。

同じ失敗を繰り返すことは決していい事ではありませんが、生き物ですからあり得る可能性です。

同じ失敗しても、必要以上に落ち込まなくてもいいんです。

「躓かないことは絶対にない」を頭に刻んでおく

では、誰かが失敗し、貴方に被害がでたときはどうでしょう?

私にとっては、これが本題です。

「失敗は誰にでもある」と普段は言いつつ

「なんでそんな失敗したんだ」とか「貴方のせいで被害を受けた」とか「どう責任を取るんだ」とか言っていませんか?

はっきりと言わせていただきます。

人を糾弾する前にまず手を動かせ。口を動かす暇があるなら頭を働かせろ。

これにつきます。

失敗した人に言うであろうその言葉は「失敗した本人が一番よく分かっている」ことです。

つまりただの二度手間のうえ、人間関係を壊すだけの限りなく無駄な作業です。

「反省しろ」と言われなくても、反省していますよ。

その説教は貴方の自己満足です。

あやまちを糾弾する権利なんてものは失敗した本人にしかありません。

では何をすればいいのか。

「被害を最小限に抑えるように対応する」これに尽きます。

未来のことを考えながら手を動かし、どうすればいいのか頭を使って対策を練る。

これは貴方が生き物だからこそできることです。

理解できていない人には「間違っていないですか?」と教えてあげてください。

そこで失敗しただろうと言っても、当人は事態が自分に降りかからないと分からないのです。

はっきり言って、感情的に叱っても無意味です。むしろ意固地になって状況が悪くなります。

「どこが間違っているのか」という事実を教えてあげてください。

失敗という『正義の免罪符』を振りかざす人間がいる

不思議な話で、誰かが失敗して「どうしてできないんだ」と糾弾する人は少なくありません。

「失敗は誰にでもある」という持論を持っている人に限って、他人の失敗につっかかり、人間関係を壊しがち、というのは私の経験則です。

いわゆる、自分に甘く他人に厳しい人はこういう『他人の失敗』を免罪符にして怒鳴りつけてくるのです。

こんなものは、ただの暴力です。

「こいつは大事なことを失敗した」という否定できないものを

「私は会社のために、この子の将来のために、言っているんだ」

という一方的な『正義感という免罪符』で自分を正当化しているだけです。

実際、私も失敗からまったく関係のない人間に怒鳴られ、嫌みを言われ続けた結果

心を壊しました。

今考えてみれば、2~3年間、暴力を振るわれたようなものですから、心壊すのも納得です。

考えるべきなのは失敗から貴方がどうするのか

何度も声を大にして言いますが、失敗は誰にでもあることです。

「失敗するな」と言葉自体がただの悪口だと思っています。

重要なのは『失敗』というものに対してどうするのか。それだけです。

失敗したときの対策を考える。

失敗の確率を減らすように予防する。

やることは沢山あると思います。人によってどうしたらいいのかは様々だと思います。

必ずどこかで起こることに対して何もせず、起こったときに誰かに責任を求め自分は感情的になって叫ぶだけでは何も解決しません。

貴方だけの、失敗と上手く付き合う方法を探してみてください。

それが、貴方の心の平穏。ひいては周りの人と円滑な人間関係を築くための一つになるかと思います。

おわりに

いかがでしたでしょうか。

失敗というのは思い出したくない負の歴史であると同時に、貴重な財産です。

あのときに失敗したから、今度は大丈夫。と自信をつけるための鍵になったり

失敗が転じて驚くような成功になることだってあります。

「失敗を失敗だと糾弾するのは、無駄中の無駄」

私は多くの失敗を経験し、学び、このような考えを持つようになりました。

誰かが失敗したときは「今見つかって良かった、対応できるね」と心から言えること。

これが私の失敗への処世術です。今でも役に立っています。

では、本日はこのあたりで。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

 

がっつり版:https://sazankadiary.com/2020/03/15/humanrelations02a/

公務員に向かないのはマジメな人(1)

 
こんにちは、山茶花です。


「公務員なんだ。マジメだからそうだよね」


自分の職業を聞いてきた親戚や同窓会でよく言われるんですよね。

私は地方公務員として10年勤め、退職しました。

多くのことを学ばせてもらい、多くのことを教訓としてきましたが、まずは一つこれだけは言わせてください。


マジメな人は、公務員に向きません


「公務員ってマジメな人がなるものじゃないの?」と思う方は多いと思います。よく分かります。

それでは、何故マジメな人は向かないのか、書いていきたいと思います。


今回は第1回として

『そもそも公務員とはいったいなんなのか』

『マジメな人がやりがちな公務員の仕事』

を中心に書いていきたいと思います。

 

そもそもの公務員のなりたち

公務員という職業はいつからあると思いますか?

実は戦後、日本国憲法が作られてからです。

それまでは官吏(役人)という役職でしたが、当時は天皇の大権に基づいて任命されていました。

つまり、戦前は天皇に任命された国家公務員だけだったのです。

戦後、日本国憲法にこのような一条が加えられました。

 
日本国憲法第15条(公務員の本質)

②すべて公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない。


地方公務員の大原則として、国全体の奉仕者である。というものがあります。

更に、主権者の国民全体の奉仕者として

一部の者のためではなく、国民全体の公共的利益のために勤務することが求められています。

要するに、国のために、地域のために奉仕するということです。

更にこのようなことも憲法に定められています。

 

地方公務員法30条(服務の根本基準)

すべて職員は、全体の奉仕者として公共の利益のために勤務し、且つ、職務の遂行に当たっては、全力を挙げてこれに専念しなければならない。


つまり、職務を全力でやらなければならない、ということです。

よく「お客さまは神様」という言葉がありますが、公務員にしてみれば「すべての国民は神様」であり「国の利益のために全力で仕事をしなければならない」ということです。

ちょっと言いすぎでは? と思われるかもしれませんが、このことを、一番最初に研修で教わります。

私も地方公務員の成り立ちと憲法での公務員とは、ということを教えていただきました。

いや本当に、素晴らしい考え方ですよね。

 

マジメな人がやりやすい行動

さて、ここまで聞いたら「やっぱり仕事にマジメな人のほうがいいじゃん」という考えになった方はいるかと思います。

 

しかし、そこが落とし穴だと思っています。

 

ではここから、マジメな人が公務員になってからの流れを書いていきたいと思います。


すべての仕事に全力で挑む

前述したとおり、公務員は全体の奉仕者であり、全力で勤めなければなりません。

公務員就職となった新卒の年齢は、若くて高卒の18歳、大卒であれば22歳です。

今まで、学校という特殊な場所で過ごしてきた若者が、一番最初に「私たちは全体の奉仕者」「国/地方のために全力で仕事をしなければならない」と教えられます。

半年をかけて研修を終わらせると、頭の中は「国民/市民のために懸命にやらなければ」という意気込みに溢れていることでしょう。

それはそれで素晴らしいことですし、公務員になるにあたって大事なことです。

しかし、初めての職場という環境では、教え込まれたことが全てになります。


これは民間でも同じではないでしょうか?

研修で受けたことが全てであり、それに従わないといけない。

これは学校で、先生のいうことをよく聞いていたマジメな人間ほど、研修の内容を全て受け止めるのです。


決して悪いことではありません。


しかし、自分のプライベートや体調すらも顧みず、全力で職務にあたるマジメな公務員は、そうやって作られていきます。


どうにもならないことにさえ一生懸命になる

大前提として、公務員は「法律や条例」に基づいて仕事をしなければなりません。

いい意味でも悪い意味でも「すべての人に平等に奉仕」することになります。

 

よく「役所ではたらい回しにされる」と言います。


残念なことに、これはよくあることです。そして公務員にはどうにもできないことでもあります。

役所でのルールの中に『個人情報保護』というものがあります。

公務員は、来訪した人の家族構成や年齢、所得から医療保険、土地の所有など、その気になれば全て分かります。

なので、あくまで職務に必要な情報だけを見ることができるようになっています。

例えば、市民課の職員は住民票や戸籍謄本を出さないといけないので調べることができますが、その人が税金をいくら納めているのかは『個人情報保護』により分かりません。

これらは法律によって決まっているので「どうにもならないこと」です。

 

 (行政機関・独立行政法人等における個人情報の保護)

総務省|行政機関・独立行政法人等における個人情報の保護|<12 罰則>


しかし、来訪する人にとっては「役所の都合」です。

他にも何度も「法律によりどうにもならないもの」というものは沢山あり、理不尽だと思いつつも、公務員はできないという説明をしなければなりません。

時には怒鳴り散らされ、2、3時間拘束されることも少なくありません。

直接来られた人に言われることもありますし、電話取った瞬間、訳も分からないクレームで定時を過ぎ、夜遅くまで「すみません」と謝り続けるしかありません。


公務員は全体の奉仕者です。


例えその人がどんな人であろうと、平等に法律に則って対応します。

しかし、窓口での仕事が公務員の全てではありません。

デスクワークはほったらかしのまま、対応を繰り返し、気が付けば昼休みにデスクワークをしている。なんてことはしょっちゅうでした。

最初の一年~二年は、そういったお問い合わせを「上手く聞き流すやり方」というものを体験して学んでいくような日常でした。

 

いかがだったでしょうか。


第1回では、公務員の成り立ちと、新卒の公務員が最初に陥りがちな状況を書いていきました。

第2回では、慣れてきた頃の職場環境やマジメな人が何故向かないのかを中心に書いていきたいと思います。


それでは、最後まで読んでくださりありがとうございました。

 

がっつり版:https://sazankadiary.com/2020/03/15/publicservant01/