sazanka_diary(人生で三度挫折しました)

人生で三度挫折した人間が日々思うこと。

失敗したとき/失敗された時にイライラしない方法

こんにちは、山茶花です。

私のささやかな趣味は、紅茶・珈琲・緑茶といった飲み物を時間をかけて飲むことです。

前の職場では忙しさにかまけて絶対にできていなかった趣味です。

このような時間が取れたのは

ひとえに『大きな決断と自分で行動する』ということをようやくできるようになったからだと思っています。

さて、本日は『失敗』についてです。

人生で失敗したことがない、と言い切れる人は世界をめぐっても絶対にいない、と私は思っています。

しかし、失敗からトラブルが生まれ、人間関係の修復ができなくなる。

という場面はよくあることだと思います。

今日は、そういうものは、まったくのナンセンスである。

という話をしていきたいと思います。

 

失敗自体はそんなに悪いことではない

失敗というのは誰にでもあることです。

私も今こうやってパソコンで記事を書きながら、何度変換ミスとタイプミスをしているか、数えたくありません。

よく考えてみてください。

動物だって、肉食獣が獲物を捕まえられないこともしょっちゅうですし、植物も季節を間違えて狂い咲くし、昆虫もしょっちゅう窓ガラスに顔面をぶつけます。

まず大前提として

生き物である限り失敗をしないなんてありえないんです。

全く同じ作業を完璧にやることの代名詞である『機械』『ロボット』『AI』でさえ失敗をするというこの事実。

失敗を「失敗しただろう」と糾弾することは、ただその人が苛立ち、ストレスをぶつけているだけです。

失敗した自分が反省して学習すればいいだけ

仕事で見積金額を間違えた。

言葉の表現を間違えて相手に誤解を与えてしまった。

プレゼンテーションでうまくいかなかった。

怒りたくないのについ子供を怒鳴ってしまった。

失敗というのは思い出したくもない、自分の汚点のようなものです。

迷惑をかけた。損をした。恥ずかしい思いをした。

もちろん、成功することが失敗よりも百倍いいに決まっています。

失敗したときは

『何故間違えたのか』を省みて、同じ失敗をしないように学習すればいいだけです。

分からない部分はなかったか。

不明な部分を「いつもどおり」と自分勝手にしなかったか。

確認作業を行ったか。

自分の体調はどうだったか。

昨日は何か特別なことがなかったか。

やるのは自分にとっての『失敗の原因』を見つけて、次はそれに気を付ける。

これだけです。

それが苦手な人は実際にノートや付箋に書いてみるといいでしょう。

いやでも目に入る場所に『失敗の原因』を書いておくと頭に入りやすいです。

しかし、それでも失敗というのをしてしまうのが生き物です。

同じ失敗を繰り返すことは決していい事ではありませんが、生き物ですからあり得る可能性です。

同じ失敗しても、必要以上に落ち込まなくてもいいんです。

「躓かないことは絶対にない」を頭に刻んでおく

では、誰かが失敗し、貴方に被害がでたときはどうでしょう?

私にとっては、これが本題です。

「失敗は誰にでもある」と普段は言いつつ

「なんでそんな失敗したんだ」とか「貴方のせいで被害を受けた」とか「どう責任を取るんだ」とか言っていませんか?

はっきりと言わせていただきます。

人を糾弾する前にまず手を動かせ。口を動かす暇があるなら頭を働かせろ。

これにつきます。

失敗した人に言うであろうその言葉は「失敗した本人が一番よく分かっている」ことです。

つまりただの二度手間のうえ、人間関係を壊すだけの限りなく無駄な作業です。

「反省しろ」と言われなくても、反省していますよ。

その説教は貴方の自己満足です。

あやまちを糾弾する権利なんてものは失敗した本人にしかありません。

では何をすればいいのか。

「被害を最小限に抑えるように対応する」これに尽きます。

未来のことを考えながら手を動かし、どうすればいいのか頭を使って対策を練る。

これは貴方が生き物だからこそできることです。

理解できていない人には「間違っていないですか?」と教えてあげてください。

そこで失敗しただろうと言っても、当人は事態が自分に降りかからないと分からないのです。

はっきり言って、感情的に叱っても無意味です。むしろ意固地になって状況が悪くなります。

「どこが間違っているのか」という事実を教えてあげてください。

失敗という『正義の免罪符』を振りかざす人間がいる

不思議な話で、誰かが失敗して「どうしてできないんだ」と糾弾する人は少なくありません。

「失敗は誰にでもある」という持論を持っている人に限って、他人の失敗につっかかり、人間関係を壊しがち、というのは私の経験則です。

いわゆる、自分に甘く他人に厳しい人はこういう『他人の失敗』を免罪符にして怒鳴りつけてくるのです。

こんなものは、ただの暴力です。

「こいつは大事なことを失敗した」という否定できないものを

「私は会社のために、この子の将来のために、言っているんだ」

という一方的な『正義感という免罪符』で自分を正当化しているだけです。

実際、私も失敗からまったく関係のない人間に怒鳴られ、嫌みを言われ続けた結果

心を壊しました。

今考えてみれば、2~3年間、暴力を振るわれたようなものですから、心壊すのも納得です。

考えるべきなのは失敗から貴方がどうするのか

何度も声を大にして言いますが、失敗は誰にでもあることです。

「失敗するな」と言葉自体がただの悪口だと思っています。

重要なのは『失敗』というものに対してどうするのか。それだけです。

失敗したときの対策を考える。

失敗の確率を減らすように予防する。

やることは沢山あると思います。人によってどうしたらいいのかは様々だと思います。

必ずどこかで起こることに対して何もせず、起こったときに誰かに責任を求め自分は感情的になって叫ぶだけでは何も解決しません。

貴方だけの、失敗と上手く付き合う方法を探してみてください。

それが、貴方の心の平穏。ひいては周りの人と円滑な人間関係を築くための一つになるかと思います。

おわりに

いかがでしたでしょうか。

失敗というのは思い出したくない負の歴史であると同時に、貴重な財産です。

あのときに失敗したから、今度は大丈夫。と自信をつけるための鍵になったり

失敗が転じて驚くような成功になることだってあります。

「失敗を失敗だと糾弾するのは、無駄中の無駄」

私は多くの失敗を経験し、学び、このような考えを持つようになりました。

誰かが失敗したときは「今見つかって良かった、対応できるね」と心から言えること。

これが私の失敗への処世術です。今でも役に立っています。

では、本日はこのあたりで。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

 

がっつり版:https://sazankadiary.com/2020/03/15/humanrelations02a/

『泣く』ことはいけないことなの?

こんにちは、山茶花です。

突然ですが泣いたことはありますか?

感動して泣く、勝負に負けて泣く、失恋して泣く。

一度はあると思います。

人間には喜怒哀楽があるのですから、泣くことは決して悪くない。

では何故、『泣き虫』という言葉があるのでしょう。

泣くということは悪いことではないのに。

 

「すぐ泣く」ことは悪いこと?

『泣き虫』という言葉を辞書で引いてみると

ちょっとしたことでもすぐに泣く人。またはそういう性質をあざけっていう。

とあります。

泣き虫には『あざける』という意味が含まれています。

同じ『虫』という言葉でネガティブなものとして『弱虫』があります。

あざけるとは、相手を悪く言うこと。つまり悪口です。

では、ちょっとしたことで泣くことの何が悪いのでしょう。

 

「泣くのは甘え」は泣かせた人間の言い訳

「泣く人は自分に甘えてるんだ」と言う人がいますが、よく考えてください。

感動ものの映画を見て泣いている人を、怪我をして泣いている人を、

貴方は「甘えているからだ」と言いますか?

泣いていることには大なり小なり理由があります。

同じようにすぐに泣く人にも、すぐに泣く理由があるんです。

理由はケースによって様々ですが、理由なく泣く人はいません。

結局『泣きやすい』という

人とはちょっと違うところがいじめたり怒ったりする理由にしやすいだけ。

「泣くことは甘え」と言っている人が自分に甘えているだけにすぎません。

「泣く」は理由を感情で表現しただけ

『泣き虫』はイジメやからかいのターゲットにされやすいだけで、

決して弱いわけではありません。

例え精神的に強くても、多くの悪意にさらされれば辛いという理由で泣くのです。

涙は『理由』を行動で示した結果なのです。

たまに「よく分からないけど涙が出てくる」という人がいます。

私もしょっちゅう理由なく泣きます。

そんなときは必ず、何かしら不安なことや辛いことがフラッシュバックしているときに起こります。

「泣きたくなる」ときは、様々な理由が混ざり合って言葉で表現できないときです。

それだけ我慢してきたんです。

そんな瞬間が、泣き虫の人にはたくさん起こっているのです。

「泣くこと」を否定しないでほしい

ここまで読んだ方なら分かると思うのですが、改めてうかがいます。

「泣くこと」は悪いことですか?

言葉にせず、積もりに積もった理由が感情となって溢れてきた人に

「すぐ泣く」「ウザい」「甘えだ」と言えますか?

もし言う人がいるのなら、代わりに私自身が言い続けます。

泣くことは悪いことではありません。

それが子供でも大人でも、老若男女問わず同じです。

私は小学生の頃に「泣くな」と指導され、その後、笑うことすらできなくなりました。

人間は、喜怒哀楽の一つでも否定されると、すべての感情を失ってしまうんです。

貴方の側で泣いている人がいるなら、「泣くな」と否定しないでください。

そして泣いている人がいても「大丈夫?」と慌てないでください。

「昨日〇〇さんが泣いてた」と大事(おおごと)にしないでください。

泣くのは笑ったり怒ったりするのと同じ、ただの感情の一つです。

気のいい言葉なんて必要ありません。感情が落ち着くまで近くにいてくれるだけでいいんです。

それだけで、泣いている人は救われます。

泣くことで悩んでいる人へ

泣くことは決して恥ずかしいことではありません。

訳も分からず涙が止まらない。突然泣きたくなる。

それは全然珍しいことでも、ましてや悪いことでもありません。

涙は隠さなくていいんです。我慢しなくてもいいんです。

我慢しすぎて感情を失ってしまわないように、ぜひ自分のために泣いてあげてください。

泣いたらとても疲れますが、頭のもやも少しは晴れているのではないでしょうか。

少しでも多くの人が、安心して泣けますように。

 

初めての人間関係記事でしたが、いかがでしたでしょうか。

涙は人間が持っている喜怒哀楽の一つでしかありません。決して『特殊なこと』ではありません。

このことを大にして言い続ていきたいと思います。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

 

がっつり版:https://sazankadiary.com/2020/03/15/humanrelations01/

ごあいさつ

はじめまして、山茶花(さざんか)といいます。

ギリギリ昭和世代、1987年の冬に生まれた人間です。

私には三度、挫折したものがあります。

一つは、学校生活。一つは、就職活動。一つは、職場生活。

結果、今は個人で物を書いたり、頼まれて書いたりという仕事をしています。

私のような経験をしたことがある方は、結構いると思います。

ただ、それを言わないだけで。

2020年3月1日という日付をこのブログ開設の記念日として、思うこと、経験してきたこと、をつらつらと書いていきたいと思います。

書きたいこと

見てくださる方にとって有益なものにしていきたいと思っています。

そこで計画的にテーマを決めて書いていきます。

①人間関係

人生で三度の挫折を経験した私ですが、これらのほとんどは人間関係が原因で挫折しています。

色々なことを経験し、色々な人間を見てきました。

実体験ほど、知識になるものはありません。

自分が受けてきたことを客観的に眺めながら、

『もし貴方がこうなったら』

『もし貴方の大切な人がこうなっていたら』

じゃあ、どうしたらいいのか。私なりの考えを述べていきます。

②地方公務員だった頃の話

私は、この仕事の前、地方公務員として働いていました。

今だからこそ言えます。

『公務員なんてなるもんじゃない』

どうしてそう思うのか。給与の話から仕事での話。

私が10年ほど働いていた公務員の日常を話していきたいと思います。

辞める前と辞めた後の話や、今の公務員の時事についても私なりの見解を述べていきます。

③雑談(不定期)

まじめな話をずっと書いてきましたが、私のやりたいことの中に

『似た境遇の人と話してみたい』というものがあります。

話したことはないけど経験したことはあるよ。

実はこんなことに悩んでいます。

そういった『似た境遇』の人に実は会ったことがありません。

そりゃそうですよね。

普通、こんな話はひけらかすものではありません。

なので、ここでは多くの『声』を聞いて、私も一緒に悩ませてください。

私なりに力にならせてください。

そういうものがなければ、ただの雑談として興味のあることを話していければと思っています。

※こちらは不定期更新です。

さいごに

以上、2つのテーマに絞って書いていきたいと思っています。

1週間に2つ(人間関係、公務員)のテーマを

定期的に話していきたいと思いますので、よろしくお願いします。